戦場のヴァルキュリア、ストーリー感想

 さて、ちょっと間が空いてしまいましたが、戦場のヴァルキュリアのストーリー感想といきます。
システム感想との間に、アニメ化し、続編が出て、さらに来年の2月にはシリーズ3作目が
出たりしますが、一寸の間で・・す・・・よね・・・。

 
いやまあ、自分でも今さらだと思いますが、自分の心の中にくすぶり続けているので、
(アニメオリジナルストーリーとかでかなり整理されましたが)
2年越しの感想ではありますが、お付き合い願います。


 
全体のストーリーはかなり王道。戦争があって、仲間も死んだりしたけれど、最終的には勝ってハッピーエンド。
これはまあ、わかってたので別に文句はないです。
ただ、一部の話が私としてはちょっとげんなりときてしまって。
今は結構整理されておちついているんですが、ゲームをやった当初はかなり萎えてました。

何って、ウェルキンとアリシアの急激ないちゃいちゃぶりに。

・・・今思い返すと、そうでもないような気がしましたが、本当に、ゲームをやってた時は
「なんかね・・・ちがうんだよね・・・」と思ってました。

誤解を招きそうなので主張しておきますが、私はウェルキンとアリシアが最後結婚するのに
不満はありませんでした。むしろ、序盤の方から(告白はしてないけど)いいムードのようだったので
応援していたんですよ。逆に、ありがちな「ふ、ふん、私がウェルキン好きなんてこと、ないんだからね!!」
みたいな、もう仲はできているのに微妙に進展しない関係はいらいらするので、そうじゃなくて良かったなぁ、
と胸をなでおろしていたくらいです。

それなのに、ああそれなのに。
二人のいちゃこらぶり(被害妄想ではあるんですが)が気になり始めたのはイサラが死んだ後からです。

今までは3人で仲良かったりしてたのに、1人がいなくなった途端、妙に関係が増したような・・・。
まあ、ウェルキンにはもうアリシアしかいないわけですから、わからないでもないですが、
イサラが死んでそんなに経ってないのに、それ相応の悲しみの態度を見せただけで、
よくそんなにいちゃいちゃできるよなぁと思いました。


 加えて、アリシアが命を捨てて敵巨大戦艦に特攻するのをウェルキンが止める時のセリフが
奇麗事っぽくてさらに萎えてしまいました。

「破壊の力で勝ったって、それは本当の勝利じゃない!」
「この戦いは、自分たち自身の力で勝ち取らないとだめなんだ!!」

はぁ・・・?って感じでした。
じゃあ、戦車で戦うのやめたらどうですか?
そもそも沢山の戦死者が出てて、物資も兵力も足りない極限状態でよくそんな余裕があること言えるなーと。
そもそもヴァルキュリアの力だってアリシアの自分自身の力なのでは・・・げふげふ。
(上の言葉は、他国が「核で助けてやってもいいよ?その代り戦後にはいろいろ尽くしてよね」みたいなこと
言ってきてる状態だったら、まあ、わからなくもない。勝っても国土は汚染されるし、支配されたら勝った意味ねぇ
じゃんみたいな。)


そんな綺麗事を言うよりは、
「イサラが死んで・・・・アリシアまで死んだら、僕はどうすればいいんだ!」
と身勝手でも言ってほしかった。
誰だって大切な人を失うのは辛いのだから、自分勝手でも愛を叫んだ方がまだ共感できたのに。

あとは、
「みんなで帰ろうって言ったじゃないか!僕は誰か1人を犠牲にして生き残りたくはない!」
とかね。

もともと、ウェルキンは綺麗事、というか、理想論派なのですが、それに現実主義者のファルディオ
が反対意見を述べたりするので、あまり気になってはいませんでした。
それに、ゲームぐらい理想論言ったっていいと思います。戦場のヴァルキュリアはリアル戦争をうたってるわけではないし。
でも、あのシーンだけは、ちょっと見逃せなかった。
いつもの理想論ではなく、なんだかいいように言おうとしている気がしてしまったんです。

しかも、敵が首都の方へ特攻しているのに、
「アリシアは、アリシアだよ・・・」とアリシアへの説得だけでは飽き足らず、プロポーズまでおっぱじめてしまって。
そんな余裕あんのか、と思ってしまいました。
プロポーズはその後夜に二人っきりで
「これからは僕たちもどうなるかわからない。だから、今言っておくよ」
と少しおちついたところでしてほしかった。


とまあ、ゲーム終了直後はこんな次第でした。
イサラの死後、多少二人の関係を冷めた目で見るようになって、
余計このシーンが気になったのかもしれません。

今は、まあそれほど目くじら立てるほどじゃないなーと落ち着いてます。

 何故落ち着いてきたか、それがこの感想の本題です。
(前置き長いな!)
この感想の題名は「世界の中心で、イサラへの愛を叫ぶ」です。

こっぱずかしい題名が何故付いているかというと、その通りだから。


多分、ゲームをやっていた当時、かなりイサラ愛が深かったと思います。
ゲームプレイ中のブログの感想を抜き出してみました。

イサラが戦死しました・・・。
 うわーん。戦ヴァリでの好きキャラ1位2位を争う(私内)イサラちゃんが・・・
今まで、自分の好きなキャラが死ぬことってほとんどなかったんで悲しい。
だって、12章以降の話でイサラちゃんのこと描けないんですよ。
戦争が終わってみんなと喜んでるイサラとか描けないんですよ。
こんなに、ゲームで死んだキャラの未来が描けないことを実感したのは
初めてかもしれない。
本当、残念でならないです。
てか、あの位置だと、先にロージーが撃たれそうだけど・・・。
どこに居たのよ敵。後ろからっぽい気がしたけど。
もう一度みればわかるかもしれないけど、今はもう一度見たくない・・・。


こんなこと書いてます。
イサラちゃんの未来が描けなくて寂しいとか。
正直、今思うと、そこまでか!キメェ。と思わないでもないですが、
当時本当に悲しかったっけな、ということは覚えてます。
そもそも、うっかり2ちゃん見てイサラの死を事前に知っていたにも関わらず、ですよ。
しかも、べつにこの後戦ヴァルで絵を描いたりしてないしね・・・。

 とにかく、この頃の私は、相当イサラの死ショックがあって暗い気分になってました。
それなのに、実の(血はつながってないけど)兄妹だったウェルキンがそんなにも悲しい様子
を見せていないで、普通にアリシアと仲よく毎日を暮らしていけるのにガッカリしたんだと思います。
「私ですら悲しいのに、なんでたった一人の家族であるウェルキンはそんなに悲しくないんだよぅ!」
と。
ああ、引かないでください。今思うと自分でも恥ずかしい。
落ち着いて考えると、イサラが死んでから次の章まで、プレイヤーにとっては一瞬ですが、
物語上は3週間過ぎています。
なので、3週間も過ぎればいつまでも引きずってるわけにはいかないと、ウェルキンが落ち着きを
見せていても当然だと思います。ウェルキンは隊長ですから。
隊長が身内の死にいつまでもうじうじしていたら、隊の士気が下がりますからね。

・・・なんですが、プレイヤーには一瞬なので(まあ、イサラが死んだシーンで止めて次のイベントまで
3週間寝かす人もいるかもしれないけど・・・)「イサラが死んで3週間」とか言って早まきしないで、
一つイベントを入れてほしかったですね。プレイヤーの心がついていかないです。
まあ、イサラにそんなに思い入れがなければそんなことなかったんでしょうが。

なので、ウェルキンの悲しみをあらわしてくれたアニメ版には本当に救われました。
「ここでやるってことは、私だけじゃなかったんだ!あの流れに不満を持ってたのは!」
と。

普段はちょっと抜けててほんわーかしているウェルキンが、気遣ってくれた隊員に対して
「そんなことをしているくらいなら他にすることがあるだろ」とか、冷たくあしらったり、
イサラのことを上官に馬鹿にされても、顔色も変えない。そんな痛々しい姿を見せつつ、
生家に戻った時に本音をアリシアに吐露。
「泣けないんだ・・・。どうしたらいいんだ。こんなに悲しいのに!」

気持ちの整理をつけられないウェルキン→アリシアが支える→二人の距離がさらに縮まる

これですよこれ!これがあれば、この後いちゃいちゃが始まっても全然問題なかったのに!

アニメはちょっと受け入れられない展開とかもあって
(ファルディオがアリシアをヴァルキュリアにしたのが、彼の現実主義的なところでなくて、
隊員を全員失って追いつめられたから、というのがちょっと・・・。ファルディオの信念も嫌いじゃなかったので)
アニメの話が全部好き!とは言えないんですが、イサラの死のところは文句なしに好きです。
良くやってくれた!


 ・・・まあ、こんなにイサララブな当時の私ですので、
ウェルキンとアリシアの子供が「イサラ」という名前なのも非常にショックでした。
名前は同じでも、イサラに全然似てないし(ウェルキンと妹のイサラは血がつながってないから当たり前)
アリシアに超そっくりだし・・・。

最終決戦後、崩壊する敵戦艦の上で二人取り残されてしまったウェルキンとアリシアの前に、
イサラがウェルキンのために作っていた飛行機をリオンが完成させて迎えにきてくれたシーンには
ウェルキンvアリシアの関係に荒んでいた私もつい感動してしまって、それからは「二人のいちゃいちゃに
目くじらたてんのは良くないよね!戦ヴァルはいい話だったよね!」とか思ってたんですが、
「イサラ」という名前の、アリシアに超そっくりな娘が出てきたときには、うっかりイライラが再燃しました。

それまでは、「おう。奥さんなアリシアもいいじゃん!」とエピローグをぴかぴかな笑顔で見つめていたと
いうのに・・・・。

そもそも、私はあまり若く死んだ人の名前をつけるというのが好きじゃないです。
その人の代わりみたいで。

「あの人素敵だからあの人にあやかって同じ名前つけたんだよ」
というのならまだいいんですが、若くて死んだ人の名前をつけるのは、
「若く死んだあの子の代わりにも長く幸せに生きてね。」
「私たちはあの子のことを忘れないよ」
という気持ちが少なくともあると思います。
つけた方はいいんでしょうが、私だったら早く死んだ人の名前はつけてほしくないかなーと思います。
だって縁起悪い・・げふげふ。・・・じゃなくって、私は私ですからね!(いいことを言ったつもりか)


「イサラのことは忘れてない」ってことを示すなら、
子供がイサラの作った人形を持ってるシーンがチラッと出るとかそのくらいでいいんだよなー。



 と、いうわけで、この辺ですね。言いたかったのは。
・・・なんだ。2年も経ったのにまとめきれてないじゃないか。

つーかほとんどアリシアとウェルキンとイサラのことしか語ってないけど。
うん。戦場のヴァルキュリアは本当に王道な話なので、全体に対しては特に語るところないですね。
個々で気になるところはあっても。

戦ヴァル2ではメインキャラ以外のイベントが増えてますし、内乱以外の
学校イベントもあったりするので、もう少し突っ込みがいというか、ネタにしやすい気もしますが、
それでも王道っぽいから、3作目は「ストーリーに力を入れる」となったのでしょうか。
戦ヴァルはゲーム部分が面白いので、ストーリーはそんなにややこしくなくても
(薄かったら困りますが)いいんだけどな。

(2010.12.6)

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